平成15年7月

七月某日
吾輩も多少有名になり一寸は鼻が高い。消息を問われることもある由。折々は人間界の一人だと思うときさえある位進化したような気がする。蓋し主人との対話のなせる業か。

主人は、やれ議会だ、忘年会、新年会、選挙だ(これが極め付けであった)、はたまた冠婚葬祭だと、吾等猫族には採用されておらぬヒトの制度・慣習に席の暖まるまもなく一年が過ぎた。

不思議の探求をもって人生の目的となす主人は出自が哲学の徒である。明瞭な表現を旨とする記者の訓練も受けた由なれど、小生に言わせれば、表現が難解、冗長、かつ複雑にして硬く、すこぶる一般受けがしない。これは小生としても同情を禁じえないところである。

主人の難解を簡にして潔、明にして瞭たらしめるは、傍らに侍る吾輩の義務と心得る一方、進化したという吾輩の思いが如何許り真正のものか、「人間同等の気位で彼らの思想、言行を批評したい」思いは募る。