平成14年8月①

「こう暑くては猫といえどもやりきれない。…責めてこの淡灰色の毛衣だけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分のあいだ質にでも入れたいような気がする」とは、漱石先生の猫殿の言である。

吾輩は8キロある。おそらく重さにして彼の猫殿の2倍、毛衣の下にある脂肪の厚さは3倍ではきかんだろう。加えてこの暑さである。主人の勧めに従って行水というものを算段しながらうとうとしていると、いきなり、また例の籠に押し込められた。過ぐること数分、解放されたのは主人の親父殿の家であった。主人が留守にするときはいつもここに里子に遣られる。

この親父殿は永らく議員として多忙に食い殺されるような生活を送られていた由であるが、今は奥方の介護を専らにしておられる。この御仁も無類の猫好きである。否、動物好きと言ったほうが正確かも知れぬ。主人とは違って癇癪を持ち合わせておられぬので太平である。ここでは居候とはいえこの御仁の寝床にもぐりこむことができる。

主人は「人間ドック」とやらで日頃の不養生、不摂生を懺悔、反省の日々を過ごしておると聞く。猫族と異なり人間が社会生活を営む以上余計な摩擦を避けるために潤滑油を必要とすることは吾輩にも解る。しかし、その潤滑油が何故常に酒類であるのか、主人は決して答えようとはせぬ。朝方、青い顔をして、いやいかんいかん今日は控えることにするよ、等と言いはするが、夕方になるとケロッとしてまた飲んでいる。「お前の笑った顔を見たことがない。猫でも飲めば陽気にならんとも限らん」と言って酒を勧められるのが小生には大いに苦痛である。吾輩は西洋種であるからか知らん、期待しているのはチーズ、バターの類であって酒ではない。漱石先生の猫殿のようにビールを飲んでみる覚悟も未だ無い。主人の酒は、「酒酒を飲む」段階までで、「酒人を飲む」ところにまでは行かんのが救いである。

吾輩も腹が床と挨拶ができるばかりになってしまっておるので、あまり主人の酒ばかり文句をつけるわけにも行かぬ。主人は医者の判決を待っている。