平成14年7月①

某月某日

吾輩も猫である。
しかしながら、1)名前がある、2)何処で出生したか証明がある、という点において漱石先生の猫殿とは位置付けが大いに異なる。
時代も異なる。

主人の吾輩認識の基本は「ネコゲノム」というところにあるようだ。「ネコゲノム」という基本遺伝子群の枠組み中に閉じ込められたある種の生命体。この点においては、吾輩の主人認識も同様である。即ち、「ヒトゲノム」という遺伝子群の中に閉じ込められたある種の生命体。

こういう認識は漱石先生の猫殿にはなかったと拝察する。
この百年、科学はエネルギーと制御をめぐって大いなる進歩を見た。これからは「制御」が「情報系」という形で更なる発展をみる、というのが家の酔漢(主人)が吾輩にチーズをくれながら繰り返す言葉であるが、とにもかくにも科学は進歩したのである。

主人は「不思議の探求」をもって人生の目的としているような節がある。好奇心の塊のようなヒトゲノムである。吾輩もその「不思議の探求」の一対象となっているのか知らん。答えられんことを尋ねられるのが不可解かつ不愉快なときもしばしばであるが、好きなバターとチーズには変えられんので少々のことには辛抱しておる。

吾輩はこのヒトゲノム程には好奇心を持ち合わせてはおらぬ。しかし、少しならないでもない。吾輩から見たこのヒトゲノムを折にふれ報告することにする。