2003年7月25日の意見開陳に先立ち、7月1日にも以下のような意見を発表しています。
地方分権一括法の施行により、地方自治体の長は国の機関ではなくなりました。しかしながら、国、地方を問わず、政党人、議員、役人の多くは、未だ国を頂点とし、それに従属する地方、というピラミッド構造を意識の中から払拭できないのではないでしょうか。
「地方にできることは地方に任せるべき」とする小泉首相、片山総務相の方針が実現されるならば、これから一番重要になるのは、地方団体の長、議会、そしてそれらを支える地方の組織ではないでしょうか。地方団体が外交、防衛、金融政策等を除く殆どの行政サービスの提供者になるのですから。
確かに、分権が主張され始める前の、中央集権体制下での主役は国会議員でした。国が徴収した税金から、どれだけ多くを、利益代表として地方、或いは被支援業界、団体に配分せしめるかが(その議員がどのようなビジョンを持っているかに拘わらず)国会議員の力量と判断されました。政党の地方本部、或いは地方議員の役割の一つが、地方のためにそういった国会議員を一人でも多く中央政界に送り込むことだったはずです。
今や分権の潮流に乗って、そういうメカニズム自体を大きく変えてしまうべき時期にさしかかっている、と多くの人々が感じているのに、現実の国政の担い手は恐ろしく鈍感です。
国から地方への税源移譲が進むなら、これから重要になってくるのが、従来の国会議員を当選させるためのメカニズムとしての政党地方本部を、地方分権という仏に魂を入れることのできるシンクタンク的組織へと変換させることだと考えます。
数ヶ月の間に市長選と知事選が行われます。両現職が大阪の将来のあり方について全く相容れない考えを持つのも事実です。自民党大阪府連として両者を推薦するのは明らかに自己矛盾です。大阪市長選が試金石となります。新しい流れは出現すると信じます。大阪の閉塞状況に風穴を開けるため、英断が期待されています。」
こういう主張にも拘わらず、英断は下されなかった。府連と党本部は、市長選、知事選共に自公民という枠組みで市長候補、知事候補を推薦するに至ったのである。