議長が見えない

今日、6月臨時議会の第一歩となる議会運営委員会が開かれ、知事が、議会の代表である議長が主催する同委員会に対して、議案の提案説明を行った。本来なら、そこで提案の是非、提案に至る経緯について議論が巻き起こるはずである。ところがそうはならない(今回は国の補正予算対応が主で、止むを得ない面も多々あるが)。何故かというと、議会運営委員会に先立つ議会運営委員会理事会において進行がほぼ決まってしまうからである。

この決裁権は議長にあるが、進めるのは議会の官僚である。これは、知事とて同様である。しかし、橋下知事の偉いところは、その官僚制に常にと言っていいほど異議を唱えることである。府民代表として理解できないものは理解できない、と。

議長も知事に劣らず多忙である。公務も知事と同様である。ところが、常に脚光を浴びるのは知事であって議長ではない。

朝倉議長の誕生でこの点の改善については大いに期待できるところであるが、そもそもの議会の仕組みが、中央集権と官治の制度下にあったときの遺制を多く残しているので議長だけを責めるのも酷な話である。それで、我が会派としては議会運営の改善についてのPTを立ち上げ、議会の改革を進めようとしている。議会の「見える化」の第一歩は議会基本条例の制定であり、第二歩は議長の「見える化」である。 議員にさえよく見えない議長の姿が府民に見えるはずがない。議長を取り囲む官僚がブラックボックスを形成するからだ。知事の日程がHPで伝えられ、活動内容が分かるように、先ずは議長日程と活動内容 に関し、 もっと頻繁にHPの更新をすべきである。

議会の改革も、どういう理由があって、どのように変わるのか、議長はもちろんのこと、個々の議員、或いは会派の責任において説明が必要である。